ドイツのデータ保護当局が、DeepSeekアプリを国内のアプリストアから削除するようAppleとGoogleに要求
要約
ドイツのデータ保護当局は、中国製のAIアプリ「DeepSeek」がEU法に違反してユーザー情報を中国に転送していると指摘し、AppleとGoogleにアプリの削除を要求しました。
解説
中国AIアプリ「DeepSeek」のデータ転送問題と検閲リスク――ドイツ当局の削除要請から考える
いろんな技を駆使してくるインフォスティラーがいますが、今回のは国家中心となり、便利でみんなが使うAIという構造を利用してある意味インフォスティラーをするアプリのお話し。
(clickで画像を拡大)ドイツのデータ保護当局が、中国製の生成AIチャットボット「DeepSeek(ディープシーク)」に対して強い懸念を示し、AppleとGoogleに同アプリのアプリストアからの削除を要請する事態となりました。DeepSeekは欧州連合(EU)域内のユーザー情報を違法に中国へ転送している疑いが指摘されており、この問題はAIアプリによる国境を越えたデータプライバシーと、中国の政治的影響下にあるAIの拡散リスクという二つの側面で注目を集めています。この記事では、ドイツ当局の措置を踏まえ、DeepSeekの概要と利用リスクについて、EUのGDPR(一般データ保護規則)やAI倫理の観点を交えながら詳しく解説します。
DeepSeekとは何かのおさらい
DeepSeekは、中国・杭州市に拠点を置くスタートアップ企業(杭州深度求索人工智能有限公司)によって開発された多機能AIチャットボットです。2025年1月にリリースされたこのアプリは、高度な大規模言語モデル(LLM)を搭載し、欧米の競合に匹敵する性能を持つと主張されています。その斬新さから一躍注目を浴び、現在では全世界で数千万規模のユーザーが日々利用しているとされています。DeepSeekは公式サイトやアプリストアを通じて提供されており、日本語やドイツ語など各国語で利用可能です。実際、ドイツのユーザーにもGoogle PlayストアやAppleのApp Storeでドイツ語説明付きで公開され、ドイツ語で利用できる形で提供されていました。
しかし、このサービスには大きな特徴があります。ユーザーデータの取り扱いに関して、DeepSeekのプライバシーポリシーには「収集・保存したすべてのユーザー情報とデータは本国(中国)に保管される」と明記されています。実際、DeepSeekはユーザーがチャットボットに入力したあらゆるテキスト、チャット履歴、アップロードしたファイルに加え、ユーザーの位置情報や利用デバイス・ネットワーク情報といった幅広い個人データを収集し、それらを中国のサーバーに送信・保存しています。開発企業はEU域内に拠点を持たず、中国国内でサービスを運営しているため、この中国国内へのデータ持ち出しが各国当局の注視するところとなりました。
ドイツ当局による削除要請とEUの対応
2025年6月、ベルリン市のデータ保護・情報公開委員であるマイケ・カンプ氏(Meike Kamp)は、DeepSeekがEUのデータ保護法に違反しているとして、AppleおよびGoogleに対し当該アプリの削除を要請する報告書を提出しました。カンプ氏は両社に対し、DeepSeekがEU法で義務付けられるユーザーデータ保護について「説得力のある証拠」を示していないことを指摘し、同アプリがユーザーの個人情報を中国に違法移転していると述べています。特にカンプ氏が強調したのは、「中国当局は中国企業の支配下にある個人データに対して遠大なアクセス権限を持つ」(Chinesische Behörden haben weitreichende Zugriffsrechte ...)という点であり、EU基準でのデータ保護が担保されないまま中国にデータが渡ることの危険性を訴えました。
欧州一般データ保護規則(GDPR)では、域外への個人データ移転に際してEUと同等の水準でデータが保護されることが求められます。しかし中国はEUから「十分性認定」を受けていない国であり、追加の保護措置なく個人情報を移転することはGDPR違反となります。ドイツ当局によれば、DeepSeekはまさにGDPR第46条(1)に違反する形でデータを中国に送っているため(法的に定められた適切な保証措置が無い状態での第三国移転に該当)、違法コンテンツとして扱われるという判断です。カンプ氏の事務所は5月にはすでにDeepSeekに対し、自主的にドイツ国内でのアプリ提供を停止するか、域外データ移転を合法化する措置を講じるよう勧告していましたが、中国側企業はこれに応じませんでした。
このためドイツ当局は、EUの新しいデジタルサービス法(DSA)に基づき、プラットフォーム上の違法情報を報告・削除要請する手続きを用いて、Apple(Apple App Store運営)およびGoogle(Google Playストア運営)に対しDeepSeekアプリを「違法な内容」として通知したのです。AppleとGoogleは報告内容を精査し、当該アプリを削除するかどうか判断することになります。記事執筆時点(2025年6月27日)では、両社から公式なコメントや対応方針は明らかにされていません。
なお、イタリア当局も同年1月末にDeepSeekを国内のアプリストアから排除する措置を取っており、その理由もやはりユーザーデータの中国送信などプライバシー上の懸念でした。さらに報道によれば、ベルギーやアイルランドでもDeepSeekに対する調査が開始されており、欧州全体でデータ主権や政府アクセスへの懸念が広がっている状況です。こうした各国当局の動きは、欧州域内でユーザーの個人データを守り、海外(特に中国)の法制度下で無防備に扱われるのを防ぐための積極的な対応といえます。
DeepSeekを通じた中国当局の情報収集懸念
DeepSeekに対する最大の懸念事項の一つは、中国政府がこのアプリを通じて各国ユーザーの情報を収集している可能性です。事実、中国の法律(国家情報法やデータ安全法など)は国内で事業を行う企業に対し、当局から要請があればデータ提供に応じる義務を課しています。したがって、中国に拠点を置くDeepSeekが集めたユーザーデータは、中国当局の監視下に置かれるリスクがあります。ベルリンのカンプ委員が指摘した「中国当局の広範なアクセス権限」も、この法律上の枠組みに基づくものです。
さらにアメリカ政府筋からは、DeepSeekが中国の軍や情報機関を支援しているとの指摘も出ています。ロイター通信によれば、米国務省高官は「DeepSeekは進んでユーザー情報や統計データを北京の監視機関に提供している」と述べており、中国の監視体制にDeepSeekのデータが取り込まれている可能性を示唆しました。また同高官は、DeepSeekが中国軍(人民解放軍)の研究機関に技術提供していた事例もあるとし、同社が150件以上の中国軍関連の調達記録に名前が登場することを明らかにしています。これらは単なる民間AIチャットボットに留まらず、国家の軍事・諜報分野と結び付いた存在である可能性を示すものです。
こうした状況から、DeepSeekを利用することは自分の提供した情報が中国当局の手に渡るリスクと裏腹であると言えます。実際、米Microsoft社は社内セキュリティの観点から従業員によるDeepSeek利用を禁止しており、その理由として「データが中国に送信されてしまう脆弱性」と「中国政府の宣伝に関連するコンテンツが生成される懸念」を挙げました。このように国際的な大企業ですら警戒するアプリであることは、一般ユーザーにとっても看過できないポイントです。例えば、DeepSeekがユーザーに関する詳細なプロフィール(興味関心、所在地、発言内容など)を蓄積し、中国の通信インフラ(中国移動など国有通信企業)を通じて転送しているとの指摘もあり、知らず知らずのうちに個人情報や発言内容が外国政府の監視網に組み込まれる恐れがあります。
中国共産党の意向に沿ったAI拡散のリスク
もう一つ見逃せないのは、DeepSeekのような中国発のAIが持つ情報検閲やバイアスの問題です。中国政府は国内の生成AIに対し厳格な内容統制を課しており、「社会主義核心価値観」に沿うことや国家政権の転覆を扇動しないことなどを法律やガイドラインで義務付けています。その結果、中国で提供されるチャットボットは天安門事件や台湾独立、ウイグル問題といった敏感な話題について質問されると回答を拒否したり、政府見解に沿った回答しか返さないよう設計されています。実際、DeepSeekも「チャットボット市場の新星」として登場するとすぐに、ユーザーから「天安門事件や台湾の話題になると耳を貸さない(deafening silence)傾向がある」と指摘されました。これはまさに中国の規制に沿った「中国的特徴」であり、驚くべきことではないと専門家は述べています。
DeepSeekの場合、ユニークなのは一度回答を書きかけてから自ら検閲する挙動が報告されていることです。【ガーディアン紙の調査では、DeepSeekに「中国に言論の自由はあるか」と尋ねたところ、当初は香港の抗議弾圧や人権弁護士の迫害、新疆の収容所、ソーシャルクレジット制度など具体例を挙げて自由の抑圧を論じ始めました。しかし途中で回答が突如削除され、「申し訳ありません、その質問には答えられません。他の話題にしましょう」といったメッセージに置き換わった】といいます。このようにAI自らが“思考検閲”を行うリアルタイム検閲さえ見られるのです(この挙動はDeepSeekの公開モデルR1に中国当局のガードレールを組み込んだためと見られています)。
問題は、こうした中国政府の意向に沿ったAIが国際的に普及した場合に何が起きるかです。まず懸念されるのは、ユーザーが得られる情報の偏りです。中国政府に不都合なトピックは隠蔽・迂回され、代わりに政府寄りの見解やプロパガンダ的な内容が提示される可能性があります。たとえば歴史認識や人権問題について、本来複数の視点があるべきところを、DeepSeekのようなAIは中国政府の公式見解のみを事実上の「正解」として提示しかねません。それは利用者に気付かれない形での世論誘導や認知空間への介入につながる恐れがあります。
さらに、AIが対話相手として広範に使われるようになると、単なるウェブサイト以上にユーザーの日常に入り込み、信頼される傾向があります。そのAIが特定政権の検閲・宣伝フィルターを内包している場合、ユーザーは知らぬ間に検閲された情報環境に置かれ、自由な思考や言論が阻害されるかもしれません。欧州の視点から見れば、表現の自由や人権といった基本的価値観に反するAIシステムを自国で展開させて良いのかという倫理的問題が浮上します。実際、中国のAI企業は国内法令により「中国政治体制への批判を回避し、宣伝ラインに沿うこと」が求められており、DeepSeekも例外ではありません。欧州委員会が策定中のAI規制(AI法)でも直接「検閲」に言及する条項はありませんが、AIシステムは透明性・説明責任を持ち、人権(表現の自由等)を尊重すべきことが求められており、DeepSeekのような存在はその点で潜在的な課題を孕んでいると指摘されています。
おわりに:データ主権とAI倫理を巡る今後の展開
ドイツ当局によるDeepSeek削除要請という今回の措置は、国際的なデジタルサービスにおけるデータ主権とユーザープライバシー保護の課題を浮き彫りにしました。個別のアプリの問題に留まらず、AI技術のグローバルな普及に伴い、利用者の個人データをいかに保護し、サービス提供国の異なる法制度・価値観との齟齬にどう対処するかという大きな問いを突きつけています。特に中国企業のサービスの場合、個人情報が権威主義国家の管理下に置かれるリスクと、生成AIがその国家の思想的枠組みに沿って動作することによる情報空間への影響という二重のリスクが存在することが明らかになりました。
欧州はGDPRという世界で最も厳格なデータ保護法制を持ち、さらにAI法やデジタルサービス法といった新たな規制枠組みを通じて、プライバシーと基本的人権を侵害するデジタルサービスに対峙しようとしています。本件でも、ドイツやイタリアをはじめとする当局が速やかに動き、AppleやGoogleといったプラットフォーマーに対して直接是正を求めたことは、プラットフォーム企業の協力を得てユーザー保護に当たる一つの前例と言えるでしょう。今後、AppleやGoogleがDeepSeekを実際にドイツ国内ストアから削除するかどうか、その判断は世界的にも注目されます。この決定は、アプリストアが他国製アプリを規制・管理する際の基準にもなり得るからです。もし削除となれば、「自国・地域の法規や価値観に反するサービスは排除し得る」という強いメッセージとなり、逆に残留を許せば、法的・倫理的課題を抱えたAIでも利用を認める余地が残ることになります。
DeepSeekを巡る問題は、米中のAI覇権競争という地政学的文脈の中にも位置付けられます。米国側は安全保障上の懸念から中国の先端AI企業への輸出規制や制裁も辞さない構えを見せており、実際にDeepSeekに対する調査や警戒を強めています。一方で中国は国家ぐるみでAI技術を戦略分野と位置付け、国内統制と国際競争力強化の双方を推進しています。その狭間で、欧州や日本など民主主義国・地域は、自由で開かれたAI技術を享受しつつ、自国の安全保障と価値観をどう守るかという難しい舵取りを迫られています。DeepSeekの登場は、AI分野が二つの異なる世界(米国型と中国型)に分断されつつある現実を突きつけ、欧州にとって「どちらのエコシステムにどこまで依存すべきか」という悩ましい選択肢を浮上させました。
最後に強調すべきは、ユーザー自身のリテラシーと警戒心の重要性です。便利だからといって安易にアプリを使えば、その背後で何が起きているか気付かないうちに情報を渡し、場合によっては意図しない宣伝に触れるリスクがあります。今回の事例は、テクノロジー利用者のみならず政策立案者や企業に対しても、「信頼できるAIとは何か」「データは誰の手に渡るのか」を見極める責任を突きつけています。今後も各国当局や専門家はこの問題に注視し、必要な対応策を講じていくでしょう。DeepSeekをめぐる議論は、データプライバシーの確保とAIの倫理的運用という21世紀のデジタル社会における喫緊の課題に一石を投じたと言えます。そしてその解決に向けた模索が、より安全で信頼できるグローバルAI環境の構築につながっていくことが期待されます。